

<写真説明>光復節記念日の相撲大会(李・イエシクのアルバムより)
光復63周年を迎えて
尊敬するサハリン州韓人同胞の皆様、ご一緒に我が民族最大の喜びの日、8月15日光復節を迎えられたことを心から嬉しく思います。63年前、我が祖国は日本の圧政から開放され自主独立国家としての道を歩み始め、飛躍的発展を成し遂げました。このような意味深い日を心から喜びお祝い致します。
−サハリン州韓人会・老人会・二重徴用鉱夫遺族会・ソマン児童創作発展協力会 反戦群衆集会−南オセチア住民を助けよう
ユジノサハリンスク市レーニン広場で12日、イエジナヤ・ロシア党サハリン支部主催で2000人余りの市民が集まって南オセチアでの戦争に反対する群衆集会を開かれた。共産党、自由民主党、社会団体、宗教関係者なども参加した中で、グルジアの侵略行為に対するロシア政府の強力な対処を支持すべきとの声を高めた。又、サハリン州オセチア人会のヴェ・ベドジュソフ会長はオセチアを助けているロシアに謝意を示すと共に「オセチア人はロシア政府の活動を全面的に支持する」と表明した。群衆集会はグルジア軍によるオセチア人被害者を助けるための組織的慈善活動の展開を決めることで集会を終えた。
諸民族祝典
サハリン文化管理局によると、今年9月27日、ユジノサハリンスク市で「相互協力」というテーマでサハリン州諸民族の祝典が行われる。今年で3回目を迎える同祝典はサハリンに住む諸民族がそれぞれ自民族の文化、伝統などを紹介する多様なプログラムを用意する。今年も例年通り民族公演や伝統料理紹介などがあり、又、サハリンの他、コムソモルスク・ナ・アモレ、ビロビジャンの芸術団も参加する。
消費者保護センター設立
1カ月前ユジノサハリンスク市に法律家協議会が運営する消費者保護センターが設立され、無料法律相談サービスなどを行っている。この1週間で140件の違反事項を発見、法務当局に提出した。小規模の店が最も違反が多く、商品の質に対する消費者らの不満は靴が最も多く(70%)、家電製品、家具、衣類などにもあった。今後、他地域にも消費者センターを設立する予定。
障害者に対する追加支援
サハリン州政府は障害者に対する追加支援を決めた。即ち、中央暖房設備の障害者世帯への追加支援、燃料運送費50%削減、自動車購入資金10万ルーブル支援、無料の電話設置など。
サハリン人口の30%は年金生活者 ―2008年上半期サハリン州社会経済現況
08.6.1現在、サハリン州人口51万7千人、その中の15万7千人が年金生活者。平均住民所得は12.3%増加した2万546ルーブル。所得の68.3%を商品購入に、11.6%アパート管理費、10.2%貯金。最低生活費は7152ルーブル、住民の17%が最低生活費より低い給料を貰っている。サービス料金を含め商品価格は17〜47%増加。
サハリンに原住民3000人
8日、ユジノサハリンスク郷土博物館で「北方少数民族国際デー」記念行事があった。1994年UNが制定した同デー。UNの資料によると70カ国に3億7千万人の原住民が住んでいる。サハリンにはエヴェンク、ウイルタ、ニブフなど3000人。行事会場に民族代表らが参加し北方少数民族デーを祝賀した。参加者らは民族伝統芸術公演観覧の他、原住民料理体験、ニブフの冬の家の見学などもできた。
極東国際経済フォラム開催
ロシア連邦評議会は、「第3回極東国際経済フォーラム」をハバロフスクで08年9月30日から2日間に渡って開催することを決めた。フォラムのテーマは「2020年までの極東地域発展戦略」、如何にして地域を発展させ、住民を残留させるかである。
青少年海外歴史探訪団サハリン訪問
さる9−11日間、高校生からなる青少年海外歴史探訪団が強制移住の歴史と現地生活を研究するためにサハリンを訪ねた。韓国移動通信(KTF)が後援する同訪問団員36人はコルサコフ望郷の丘、同胞慰霊碑など韓人の歴史現場を訪ね歩きながら研究。
日本からの手紙―丹波マンガン記念館閉館の危機
1989年に開館した「丹波マンガン記念館」(京都市右京区京北)は戦前・戦後の朝鮮人の鉱山労働の跡を直接見ることのできる数少ない現場の一つである。同館はマンガン鉱山で働き、のちに経営にも携わった故・李貞鎬(イ・ジョンホ)さんが「強制連行された朝鮮人の歴史を語り継ぎたい」と1989年に開設した。約300メートルの坑道めぐりや戦時中の強制労働者の暮らしを再現した宿舎、労働者の証言などを紹介した資料館があり、ピーク時には年間2万人を集めた。
李貞鎬さんの死後、息子の李龍植さん(1960年生まれ)が遺志を引き継いで館長となって運営にあたっていたが、近辺を高速道路の一部開通など周辺の交通量が激減したことなどから、来館者数は年間3000人程度まで落ち込んだ。2002年には運営母体をNPO法人化し、寄付金を集めて立て直しを図ったが、経営難が深刻化。継続するには今後も施設の更新などが必要になるため、先頃、理事会で閉館を決めた。
龍植さんは「最近は北朝鮮による日本人拉致問題で強制連行の問題意識が薄れてきたのではないかと感じる。加害の歴史を隠さず示すことが、戦争を繰り返さないための道だということを知ってほしい」と訴え、閉館後は個人的に著書などでマンガン鉱山の歴史について発信したいと希望している。
龍植さんのアボヂ、初代館長の李貞鎬さんは「じん肺による呼吸不全」で、1995年に死亡。享年62歳。2歳のときに渡日した貞鎬さんは、各地の鉱山を渡り歩き、ここ京北町に定住、戦後は企業から経営を譲りうけたが、安いマンガンが海外から輸入されるようになると、日本の鉱山は軒並み閉山に追い込まれた。遺骨は故人の希望によって日本海(東海)に散骨された。
重要な見学施設のはずが、国や地方公共団体からの公的な補助はなく、施設も老朽化し、毎年600万円以上の赤字が続き、これ以上維持することが困難と判断したということである。
館長で設立した父の李貞鎬さんと共にこの記念館の運営に携わってきた李龍植さんは、記者の質問に次のように答えた。
「設立から20年ですね。この間の記念館の運営状況はいかがでしたか」
「毎年、大きな赤字を出してきました。特に北朝鮮の拉致問題が日本の社会で大きな問題になってからは、小学校や中学校の課外学習としての見学もすべてと言っていいほど止まってしまいました。見学者が減って財政を維持してゆくのが非常に困難な状態が続いているのです」
「この記念館を造られた動機は何でしょう」
「父の李貞鎬が言いだしたのです。父はこの地方に300ものマンガン鉱山がある。このままほっておいたら、我々の歴史は忘れられる。戦前から何千人もの朝鮮人がここで働いていたことが忘れられるというのです。それで・・・」
「それで?」
「それで父は『俺の墓は要らない。記念館を作れたらそれが俺の墓だ』といって、家族で相談して、作ることになったのです」
「ご家族の皆さんは反対されませんでしたか?」
「そりゃしましたよ。だって、墓を作るお金だけで出来るわけないでしょう」
「でも結局作ることになった?」
「ええ、ご覧の通りです。私も父も鉱山で働いていましたから、坑道の内部に関しては詳しいのです。それで見学用の坑道を300メートルほど整備して、安全対策に力を入れて見学者の皆さんに事故がないように注意してきました」
「なにがお父さんやあなたを20年間も支えてきたのでしょうか」
「『恨』と『意地』です」
「20年間で事故は?」
「ありません。一人、虫に刺されて病院へ運んだということはありましたが」
「初代館長が記念館を作ろうと言われた時に公的な支援はなかったのですか」
「全くないのです。この町(旧京都府京北町)の役所にもお願いに行ったのですが駄目でした」
「なぜ駄目なんでしょうね」
「わかりません。日本にとってはこの鉱山は『負の遺産』なのです。戦前、多くの朝鮮人を植民地である朝鮮半島から『募集』であれ『強制』であれ、連れてきて働かせ、まともに給与も支払わずに済ませてきたことを隠したいのではないかと思ってしまいます」
「一番苦しかったことは?」
「苦しいのはいつも経済的に苦しいので慣れてしまいましたね。でも悔しい思いをしたことがあります。これはここで働いた朝鮮人たちを侮蔑した話です」
ここで館長は「ちょっと待って」と言って、ビデオテープを持ってきた。そのテープには「マンガンに生きた朝鮮人と部落」とある。
「これは?」
「このテープは私が作ったものです。今言った悔しい思いがこのテープを作らせたのです。田中宇(たなか・さかえ)というジャーナリストがいます。彼は『マンガンパラダイス』という本を書きました。ここのマンガン鉱で戦前働いていた朝鮮人を追って韓国で取材したという内容の話ですが、とんでもないウソがこの本に書かれています」
「ウソ?」
「ええ、でたらめです。たとえば『マンガン鉱で働いてお金を貯めて国に帰れた』とか『出稼ぎが出来て日本人を恨んでいない』とか。それで私は韓国へ赴いて、彼が歩いて取材したという村へ行ったのです。そうするととんでもない。彼にはそんなことを証言していないという話ばかりが出てきました。通訳した人にも会ったのですが、そんなことは嘘だ、その時彼らが話したことを通訳したと言っていました」
「田中というジャーナリストに会いましたか?」
「電話しているのですが、つながらないのです」
ビデオを紙面で紹介できないのは残念だ。
「最後にもう一つ、お聞きしたいのですが、もし、財政的な支援があれば記念館の運営は続けられますか」
「勿論です。それが父の遺志でもありますから。父は『俺の遺骨は海に撒いてくれ』と言って亡くなりました。それで東海(日本海)に散骨しました。今望むことといえば、韓国政府も国内に記念館や資料館を作るのもいいですが、日本国内に歴史博物館や資料館を作るべきです。韓国人よりも日本人に知ってもらいたい歴史があるのですから」
片山通夫
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