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編集局からの手紙「限界の集落」:片山通夫

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写真:山道を休み休み家路につく。

 「限界集落」という言葉がある。「限界集落」という言葉から受けるイメージがとても暗いので、地方によっては「小規模集落」とか、「いきいき集落」と呼ぶ。「限界集落」という言葉の持つイメージを嫌ってのことである。
 筆者は「限界集落」という言葉にそう違和感が覚えない。現実に集落の昔から持つ機能が失われつつある現状を見ての印象である。昨日(12月29日)まで3日間、それと思える集落を何か所も訪ね歩いてきた。そんな集落では携帯電話はつながらない。猫の額ほどの耕作地。廃屋になって久しい家々。その廃屋の間に何軒かが寄り添って生きている家々。人の姿はほとんど見られない。産業はといえば、杉木立の間に見られたシイタケ栽培だけ。町へ行くにも一台の車がやっと通れるほどの狭い山道を何時間もかけなくては辿り着かない集落。このような集落が日本のあちこちにある。

 筆者が訪れたある集落では「神社の修理もおぼつかない」と嘆く。30数軒あった家が現在は半分以下になり、正月を迎える準備にも支障が出ているという。この集落では墓地にも異変が起こっていた。「あわせ墓」といって、集落から出て行った世帯や死に絶えた世帯の墓を血縁関係のある世帯が自分の墓に入れて供養しているという。無縁仏にならないだけでも良しとしなければならない状況が続く。

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写真:火の見櫓のある集落。廃屋が多い。

 また別の集落では存在する半分以上に及ぶと思われる家が廃屋となっていた。幾重にも重なった山を越えて、地を這うようにして辿り着いたその集落にもやはり人の姿が見えない。集落を歩いてみた。廃屋の数を数えてみた。15軒までは数えられたが、それ以上数えることができなかった。悲しくそして情けなくなってきたのである。そして話を聞こうにも人影が全く見えない。その集落の入口に正月を迎えるためと思われる細いしめ縄が風に揺れているのみである。

 いま一つの集落では、バスが止まっていた。運転手の姿は見えない。バス停に掲げられた時刻表では一日朝夕一便ずつあるだけ。土・日にはバスの運行はなく、年末年始も運行はなかった。住民は滅多に来ないバスを待つわけにもゆかないので、車で町へ出ることになる。バスに乗ってくれないので、運行できないという悪循環が続く。この集落の里山は荒れに荒れていた。

 「限界集落」という言葉の持つ意味は確かに暗い。そしてやりきれなさを感じさせる。しかし他の言葉に置き換えても実情は決して好転しない。行政も国民も「限界集落」が最後には「消滅集落」へ移行する現実から眼をそむけ言葉を置き換えるだけで手をこまぬいているのでは何もならない。救いは様々な取り組みがすでに一部(たとえば京都府綾部市)で積極的に行われていることだ。我々日本の深刻な問題として、政治や行政は無論市民一人一人がこのような取り組みを広げてゆく必要がある。
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コメント

[C29] なるほど。

山と山の谷間にたたずむ集落、それもバスも通らない山間の集落、いくら人口が少なくてもバスが何便か通い道路が舗装されているところは人々の往来があり生活が動いているということですね。それは限界集落に入らない。日本のどこを指すのだろうか。いまだに私の頭の中にはいってこない。
そして生活する産業がないと若者たちは町に出て行く。しかし限界集落はローカル線で降りてバスにのりまたバスにのって果ては歩かなければならないということになると年寄りだけが残り故郷にだれもが帰ってこなくなる。
日本の高度経済成長の裏には生活の退廃が少しずつ進んでいたことになるのでしょうか。
京都府相楽郡南山城村大河原や相楽郡和束町湯船も道路状況がよくなって町への通勤が可能になってそれなりに人々の生活ができているということがわかりました。さて京都府相楽郡南山城村童仙房のあたりは昔は下宿しないと町の学校に行くことができなかったのですが今はどうなっているのでしょうか。気になるところの1つです。
  • 2008-12-30 16:50
  • チョンヨンスン
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Author:michio_k
サハリン残留朝鮮人の生活をライフ・ワークに、ビデオ、写真、文章など、あらゆるツールを使って記録しているフォト・ジャーナリスト。