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小説「ムンバイに消ゆ」:片山通夫

第五章 混乱の中に<11>


「アキヒコ……」とマムタは叫んだ。
 彰彦はその場に立った。波打ち際に近い砂浜だ。
「やあ」と、彰彦は手を振り、その仕草に照れた。
「ホテルに何度も連絡したのに、繋がらなかった。ベナレスを出たあとだったの」
「そうだと思う。昨日、ここに戻ったんだ」
「それだったら、すぐに連絡してくれれば良かったのに……」
 マムタの香水の匂いが彰彦には懐かしく感じられる。首に巻かれた首飾りや、腕に巻いた飾りが懐かしい輝きを放っていた。
「じつは昨日、ある孤児院に行っていたんだ。ダンマデーバ師という仏教徒の師がいて、その人が孤児たちの面倒を見ている。そこの見物というところかな」
 怪冴なマムタの顔が間近にあった。
「……深い理由はない。ベナレスで偶然、会った人なんだけど、この人、日本で修行したという話で、しかも日本語がめちゃくちゃに上手な人。ついつい懐かしくなって……」
「そうなの。不意にベナレスに行ってしまったから、わたし、特別のことが起こったのか心配していました」
「ぽくは知らなすぎたというべきだろうね。インドという国を。自分の信念を貫き、修行をしている人たちに会い、そして教えてもらった。そうそう、ヒンドゥーのお坊さんにも会った。その人はいきなり、《あなたを待っていた》と言うものだから、びっくりして……。でも、ジャーティやヴァルナのことはかたくなに譲らなかった。信仰によって得た知恵だとか何とか言って。その後にダンマデーバ師に会って、自分のカルマや貧窮にあえぐ人たちのことについて聞かせてもらった。これはインドがかかえる膨大な問題なんだろうね」
 ヴァルナと聞いたマムタはすぐにスラムにいたスジャータのことが脳裏をよぎった。いまスラムが重大な危機に立たされ、そこに父が深く関与していることも……。
「解決という言葉はふさわしくないけど、インドがかかえる宿命的課題ではあると思うの。ジャーディにしろヴァルナしても、インドの歴史がそういうものを継承してきたし、それによって成り立ってきた史実は変えられない」
「歴史は変えられないかも知れないが、人間は時代とともに変化して生きている。地球そのものが変化しているのと同じように、その変化を受け入れなければ、民族は滅びる運命にある……」
「わたしはインド哲学を学ぶ身であるけど、たとえば古代の言語であったサンスクリット語も、ラテン語でもその役割を終えると、継承は途絶えたと思うの。宗教も同じよ。ヒンドゥーもイスラムも信仰者の手によって、古いものは捨て去られ、新しく引き継がれているの」
「カースト制度はそれが途絶えるまで、と言いたいのかい」
「そうよ。歴史を作るのは人間だけど、その人間は信仰によって生き続けて、人間社会を形成しているとしたら、社会が壊れるにはその前に信仰が消滅するときね」
「アーリア人のことを言っているのか。彼らはインドを征服したと思っているけれど、信仰までも支配することができなかった。その昔、ザビエルによって日本にキリスト教が人ったときもそうだった。信仰の運動はその裏で日本への侵略を目的としていた。キリスト教の布教によって駆逐できなかった日本は、そのまま何とか自立の道をたどったんだけど」
「嫌ね、こんな話。他の話をしましょうよ」
(明日に続く)
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Author:michio_k
サハリン残留朝鮮人の生活をライフ・ワークに、ビデオ、写真、文章など、あらゆるツールを使って記録しているフォト・ジャーナリスト。